グレー思考のすゝめ

よく思うことなのですが、頑固な人とか引くとこ弾けない人とか、人に自分の考え方を押し付ける人って、白黒はっきりつけたい人が多いんじゃないか、と思んです。

 


以前、どこかでこの考え方を知った時に凄く良い考え方だなと思って人に話してみたらシラけた顔をされました(笑)

 


自分の説明不足だったのかもしれませんが、今でもこの思考は変わりません。

 

 

グレーとはその名の通り白と黒の中間色です。

要するに白黒付けるのを辞める、という事です。

 

白なのか黒なのか、勝ちなのか負けなのか、正しいのか正しくないのかを論じてしまうが故に揉め事って起こってしまうのではないでしょうか。

 


人それぞれ考え方や、やり方が違うのは当たり前です。

勝負だけに拘るのなら、じゃんけんで決めるか人生ゲームでもやってればいいんですよ。

 

 

時間の無駄です。

 


何故ならば、仮に自分の考えを曲げて白を譲るとしましょう。

 


しかし、それは単に論じてもラチが明かないと判断しただけだったり、単に口が強かっただけでしょうがなく折りだけだったりします。

 


それは本来の意味で白というのでしょうか?

 


話が拡大しますが、第二次大戦中マッカーサーはI shall return という言葉を残し復讐を誓い現に成し遂げました。

何が言いたいのかと言うと、白黒ハッキリ付けるということはそれと同時に憎みや憎悪と言った副産物を生み出す、ということです。

 


むやみやたらに勝ち負け決める位なら、そういう考え方もあるな、とかこの人の見方も一理あるな、と言った具合に一歩引いて俯瞰してみるのもどうでしょうか?

 

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争いあった所で白黒決めたってその事実自体は変わらない訳ですから。

”情報”と”データ”の違いを説明出来ますか?

情報とデータの明確な違いや定義を説明出来ますか?


情報って何でしょうか?
人それぞれ、違うのではないでしょうか。

因みに検索すると、この様に出てきます。


じょうほう
【情報】

1. 1. 
ある物事の事情についての知らせ。 「海外―」




2. 2. 
それを通して何らかの知識が得られるようなもの。▷ information の訳語。「データ」が表現の形の面を言うのに対し、内容面を言うことが多い。




良くわかりませんね。。(>_<)


では、データはどうでしょうか。

データ


1. それをもとにして、推理し結論を導き出す、または行動を決定するための事実。資料。▷ data


こちらは解りやすいですね。


実は両者とも明確な定義はされていないんですよ。

大きい分けて2通りあるの見方に分かれます。


1.情報ありき

まず情報があり、そこから必要な情報だけをピックアップしたものがデータ、と言う考え方です。

世の中にあるニュース、新聞等は全て情報として捉えそこから抽出したものがデータ、と言うことですね。


2.データありき

これはまず、データが先にありそこから人に流したり、形にしたものが情報、という考え方です。

なんだか鶏が先か卵が先かみたいな話ですが、こちらの見解がどうやら優勢みたいです。

 

 

情報がインフォメーションなのかインフォームなのか、悩ましい所です。

ウィキペディアにはこう書かれています。

情報(じょうほう、英語: information、ラテン語: informatio インフォルマーティオー)とは、
1. あるものごとの内容や事情についての知らせ[1]のこと。
2. 文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手において、状況に対する知識をもたらしたり、適切な判断を助けたりするもの[1]のこと。
3. 生体が働くために
4. 用いられている指令や信号[1]のこと。
5. (情報理論(通信理論)での用法)価値判断を除いて、量的な存在としてとらえたそれ

 

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まとめ

そもそも情報というものは戦争からきている説があり、戦略に使うものでした。
人に届く形あるものが情報だとすると、情報化する為のものがデータといえるでしょうね。


数値化したものがデータだとか、文章化したものが情報、という見方もあります。

それも間違いではないと思いますし、明確な答えがないから、逆に言えば使い方によって良し悪しがはっきりしそうです。


終わりに

まとめになって無かったかもしれませんが、情報とデータ、両者の違いに明確な答えはありません。

 

”答えが無いのが答え”とでもいいましょうか。

 

したがって、自分なりの答えを考えたり、持つことも良いと思います。


仮に明確な定義があったとしてもそれは”過去に存在していた誰か”が決めたことで、見方によればそれが正しいとは限らないですから。。


KOHEI

空間を支配する

人と共有している時間が異なる瞬間は確実に存在する。

 


例えば、野球選手は打席でピッチャーの球の縫い目が見えることがあるらしい。

 


集中力の極限にまで達すると人は普通の人にはありえない現象を体験する。

 


F-1レーサーは時速300キロの世界で様々な判断を行なっている。

 


多分何も訓練を行なっていないと、その世界では何も出来ないだろう。

 


プロ野球選手の江夏豊さんは全盛期の頃、マウンドでただそこにボールを置けば打者を打ち取れるという。

 


また、交通事故の接触の瞬間など、時間が止まった様に感じる。

 

 

時間という概念は時として、その形がズレる。

 


勝負事で大事なのは流れを読むということだ。

 


昔、空手をやっていた時に壁に当たったときスランプに陥ったことがあった。

 


初心者の頃はただ闇雲に組手をやっていれば良かったが、相手のレベルが上がることにより、通用しなくなってくる。

 


勢いだけでは太刀打ち出来ないのだ。

 


強い人と組手をした時、気が付けば負けていたということがある。


何故か?


徹底的に考えた。


強い人は自分の空間、即ち間合いを持っている事に気が付いた。

 


相手の間合いに入るとやられてしまう。

 


では、どうすれば良いのか?

 


絞り出した答えは自分のフィールド(間合い)を創ればいい。

 


逆転の発想だった。

 


後は相手をどう自分の間合いに引き込むか、駆け引きに勝てるか、である。

 


棋士羽生善治さんは行った。

 


「勝負事には必ず流れは存在する」

 


そう、勝つ時負ける時、勝負は土俵に上がる前から既に決まっていたのではないのか、と思う位、何か目に見えない空気がその場を支配している。

 


それほど、流れを読む力は必要である。

 


悩みに悩み抜き、努力を重ねた結果、組手の途中で相手の動きが人形の様に感じる様になった。

 


次はどうゆう技を出して来て、こっちのどういう動きを待っているのかわかる様になった。

それを”読む”ことが出来た時、時間が以上に長く感じた。

 


フルコンタクト空手の場合、一発技を喰らうと下手をしたら死んでしまうかもしれないので、稽古に日々取り組む緊張感がそうさせたのかもしれない。

 


格闘技をやっていた人はわかると思うが単なる殴り合いだと思ったら大間違いだ。

 


相手と向き合った時、ほんのすこし肩が動きそうな気配だけで次の動きを察知し、瞬時に次の組立方を判断する。

 


高度な駆け引きの上で試合は成り立っている。

 


故に、流れを引き寄せることが非常に重要である。

 


その場の空気を制する者が試合を制する。

 


何が言いたいのかと言うと、我々が共有している時間=空間を支配するということである。

 


極限に集中した世界では時の流れがゆっくりに感じるが(現に科学でも証明されているらしい)
其処まで達する事が出来るか、そして集中した相手より上回る事が出来るかが肝心だと、私は思う。

 


組手では、その一戦の空間を制したと思った時、技が決まる事が多い。


相手の隙が見えてくる。

 

前述した江夏豊さんのそこにただボールを置くだけの感覚で技が決まる様な境地がある。


それを人は”極める”というのだろう。


例えるならば、日本庭園で竹がカポーんとなっているのを澄んだ気持で眺めている、あの境地である。

 

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研ぎ澄ました先の世界には喧騒は何もなく、穏やかな物だっりする。


やっている事は争いかもしれないが気持は澄み切っている、そんな時、


人は空間を支配する


KOHEI

心を整える

 

桜色舞うころ
私はひとり
押さえきれぬ胸に
立ち尽くしてた


ひとところにはとどまれないと
そっとおしえながら

中島美嘉

桜色舞うころ

 

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春は新しい季節ですが、必然的に1つの季節が古くなるので、冬の終わりが何だか物哀しくなったりします(冬生まれだからかもしれない)。

 


前の職場を離れて1ヶ月以上の時が流れた。

あの慌しい喧騒の日々が懐かしい。


自分の決断は正しかったのか。
いや、正しかったのだ。
(決断を下した後の理由は何だってできる)


終わりがあれば始まりがある。
創造と破壊は表裏一体だ。


冬が終わり、春が訪れる。


新しい季節に新しい事を始めたり、新しい人と出会うのはとても良い事をだか、得てして浮足気味で、自分を見失いがちだ。


世の中には沢山の自己啓発本、ビジネス書が溢れかえっており、多種多様の意見が飛び交っている。


何が正しいのか、何が自分にとって 必要なのかを種子選択することも、必要だ。


自分に必要な情報だけを取り入れる判断と不必要な情報は切り捨てる決断がいる。


沢山の人と会うと、情報の波に飲まれそうになり心が疲弊しがちだ。


時には、自分の心を整理する時間もなくては、溢れてしまう。


数年前読んだ、サッカー日本人代表の長谷部選手の著書を思い出した。

 

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長谷部選手は結婚した今はわからないが、1人の時間をとても大切にしていて煮詰まると1人で温泉に出掛けたりするらしい。


その時間が勝負事で乱れがちの精神を整えるのにとても重要なのだそうだ。


勝負事に生きれば必然的に心は疲弊する。


精神面の管理も実力の内なのだろう。


新しい環境、新しい人、新たな仕事の中で乱れがちな心を1度、整える時間も必要だ。


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プライドをもつ、ということ

4月に入り、そろそろ暖かくなり始め桜もちらほらと見受けられる様になりましたね。

 
毎年、この時期は新しいことを始めたいと思うのはやはり、年度納めと年度始めの時期だからでしょうか。
 
 
さて、表題ですが、
 
プライドを持つということについて、皆さんは
どの様なイメージを持っているでしょうか。
 
プライド=誇り。自尊心。 
 
 
プライドが高いと扱いにくいとか良くいいますよね。
 
 
しかしプライドが、低ければ逆に使い物になりますん。
 
 
従ってプライドは自信の表れであり、自分自身を支えてくれている物です。
 
 
自分が自信を持って取り組んで来た表れと言えるでしょう。
 
 
故にそれにこだわるということは過去の成果に囚われる、ということです。
 
 
ですから、あまりに高すぎプライドは扱い困る。過去に固執しすぎて頑固になってしまうからです。
 
 
一概にそれが悪いことだとも言えません。
 
 
歴史的に名を残す気高い人物は大体プライドの高い人物ばかりです。
 
 
他人の言うことを気にせず自分を信じている人が誰も考えられないような事を成し遂げます。
 
 
プライドも持てない人間が事を成し遂げる事など、ありえません。
 
 
 
つまらないプライドを捨てろと良くいいますが、つまらないプライドなどこの世にあるのでしょうか。
 
 
他人からはつまらないものに見えても、当人には大切だったりします。
 
 
”目に見えないから価値のある物”
 
それがプライドではないでしょうか?
 
 
誇り高い人にはやはり惹かれるものがあります。
 
 
日々の積み重ねの結晶がその人を創るのでしょう(俗にそれをカリスマというのだろう)。
 
 
人に笑われても、けなされても、馬鹿にされても、負けても、涙の日も雨の日も、笑顔の日も無くせないもの。
 
 
 
汚れたプライドはいりませんが、努力の上に積み重ねたプライドをいつも持ち合わせていたいです。
 
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